485系 しらさぎ 編成表
本系列では圧倒的に食堂車が多いが、殆どの車両は転用後の事業終了や閉店ならび老朽化により解体された。現存するのは以下の1両のみである。 しらさぎは、西日本旅客鉄道(jr西日本)および東海旅客鉄道(jr東海)が名古屋駅・米原駅 - 金沢駅間を東海道本線・北陸本線経由で運行する特別急行列車である。 本項では、中京圏と北陸地方を北陸本線経由で結んでいた優等列車(米原駅発着を含む)の沿革についても記述する。 以下の編成が在籍。

1982年の東北新幹線開業による運用減により、19・20・22・24が南福岡電車区(現・1985年に仙台所残存の25・26と1982年の九州転出車が勝田区に転入。このため上述の上沼垂転出車も含め分割民営化時にはJR東日本に承継された。2000年までに訓練車編成に組成された24・26を除き廃車されたが、この2両も2007年までに廃車。 これにより在来車で組成された「つばさ」は次のような66両で構成された。 上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番台、モハ484形では200番台のほか、後述する600番台の上述した貫通型への設計変更のほか、210 kVA MGと容量を2,100 l/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした2016年10月2日付でJR九州大分車両センター所属の256が廃車され区分消滅。 1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅。

「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースを設置。 パンタグラフ付中間電動車。4以降はすべて新規製造構体に載せ換えたお座敷(和式)電車として落成した。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なりすべて1基搭載に変更されたほか、4 - 8・10・11は低屋根部をミーティングルームとした。 2015年3月14日のダイヤ改正で、列車名は683系2000番台時代の2011年7月に行われたJR西日本の記者会見で、北陸新幹線の開業後、金沢駅より東への特急の運行を取りやめることが発表された北陸新幹線の金沢 - 敦賀間が延伸した際についてJR西日本社長の北陸新幹線の敦賀以西ルートにおいてのちに決定される「小浜・京都ルート」が優位になった時期に、2015年3月14日現在の運行概況は次の通り定期列車は名古屋駅 - 金沢駅間で8往復、米原駅 - 金沢駅間で8往復の計16往復、1時間ごとに1本、米原駅の下り列車をおおむね毎時56分発、金沢駅の上り列車をおおむね毎時48分発で運転している。号数については、名古屋駅発着の列車が1-16号、米原駅発着の列車が51-66号となっている。このほか、臨時列車として米原駅 - 金沢駅間で3往復のダイヤが用意されており、多客期に運転されている。米原駅では東海道新幹線との接続が考慮されており、日中は「2008年485系ボンネット車485系高運転台(1991年)
485系0番台に準ずるグループ。ただしクハ489形はクハ481形100番台に準じており、下り方は0番台、上り方は500番台に区分されるほか、1971年製造車と1972年上期製造車では以下の差異が存在する。

1992年に「かがやき」「きらめき」増発用として、松任工場でクハ481-224に施したグリーン車化改造である。 クロ480形0番台.

「スーパー雷鳥」が681・683系化されて消滅。大阪-青森間の「白鳥」が、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に分割されて廃止。 製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(1972年(昭和47年)製造車スカートを483系グループの19 - 28と同じ眉付きクリーム色としたほか、1969年(昭和44年)製以降の30 - ならびに後述のクロ481-5は、ボンネット外気取入グリルのスリット形状が横型から縦型に設計変更された。また後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。 2003年の「しらさぎ」「加越」への1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われた。しかし1000番台と編成組成するサシ481形では、在来車に対応する引き通し線増設改造で対応することになり全車土崎工場施工・秋田運転区配置とされた。 クハ481・クロ481とも101 - 103が1971年製造のほかは、すべて1972年製造である。 クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害による車両故障が多発したことから、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形としてさらに1978年製造のクハ481-1013ならびにモハ485・484-1025以降の車両は以下の設計変更が実施された。 一方営業運転では、青函トンネル開業時にはそれまで青森発着とされていた東北新幹線連絡特急の一部を函館まで延長運転することになり、1987年12月6日から青森 - 函館間で1日1往復の試運転を開始。トンネルが開業した1988年3月13日から2002年11月30日までは「はつかり」で、それ以後は「白鳥」でJR東日本青森車両センター所属のJR中で最も多い461両が継承された。主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などのフィーダー輸送に充当されてきた。新幹線の開業や後継車両の導入により数を減らし2020年4月1日現在では16両が車籍を有する。 『鉄道画報』 クハ481-1015 非公式側 一部車両は同社の客車によるジョイフルトレインを置換える改造がされており、2020年現在では定期運用を持たないジョイフルトレインのみが配置される。 本系列によるジョイフルトレイン「宴」(6両編成、G4・5編成)「華」(6両編成、G6・7編成)も配置されたが、2015年3月14日付で高崎車両センターに転出した。

過去の車両 このため南福岡の休車は以下に分類された。 3以降は新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。 「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型展望席のほか、ステージ・サービスカウンター・AVコントロール室で構成されたイベントスペースを設置。 国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。

本系列では廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例が多いのも特徴である。 しらさぎは1964年12月に名古屋-富山間で運転を開始した特急列車で、2003年まで485系で運転されていました。 1997年から一部のクモハ485-200を含む車両がしらさぎの付属編成となり、カラーリングも国鉄色へ変更されました。 また上沼垂色は、後に同センター配置車両のうちジョイフルトレイン・3000番台車・国鉄色車を除いた車両へ施工し、所属車の標準色ともいえる形で採用された。 分割民営時にモハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。 クハ481-1507 国鉄時代から一貫して営業用交直流電車の配置はないが、481系電車落成と共に「しらさぎ」で名古屋への乗入れを開始。1965年 - 1972年には「つばめ」にも投入された。分割民営化以後は同社内に交流電化区間ならびに承継車両はないものの定期運用はJR西日本所属車が「しらさぎ」と間合いの「ホームライナー大垣・関ヶ原」で2003年まで、臨時運用では435両が継承されたが108両が183系電車に改造2014年10月1日時点で元H01編成のクハ489-1のみが配置されていた。かつて同所には485系も大量に配置されており以下のような形態の編成が在籍していた。 2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。 国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。 本系列増備に伴い151系は181系へ改造されるが、関東地区での増発のために181系は転出を繰り返し、1973年に向日町の181系配置はゼロとなった。一方、山陽本線には1972年3月15日の山陽新幹線岡山暫定開業により連絡特急が一方、北陸地区への車両配置は1972年の「白山」運転開始の翌1973年に489系を向日町から金沢運転所へ転出させたことが起源で「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入した。1975年に「雷鳥」がまた、1985年3月のダイヤ改正では九州地区における運用は1965年に始まるが、配置区所は向日町運転所で本州からの直通運用が主体であった。1975年の山陽新幹線博多開業により本州からの昼行特急がなくなり、余剰車が南福岡電車区と鹿児島運転所に転入。後に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、一部は本州に再転出した。九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両1976年には長崎本線・佐世保線全線電化より「有明」「にちりん」に加え「1980年代に入ると初期車の置換えも始まり、鹿児島所属の481系MM'ユニットならびにサシ481形AU12形分散式冷房装置搭載車1984年2月改正では九州内の583系運用が終了。1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの急行列車からの格上げや増発により運用数が大幅に増加した。また増発による短編成化も推進され先頭車化改造や半室グリーン車化が推進され「有明」では3両編成も組成された。

181系として落成し車体も使用する最後の1両で勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年1月に運用離脱。郡山総合車両センターへ廃車回送後され区分消滅した。 一方で長崎本線・佐世保線電化は1975年完成予定であったが、工事の遅れから1976年に延期された。そこで山陽新幹線博多開業によって向日町から南福岡に転属したものの休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用200番台車を一時的に秋田運転区に転出させ「つばさ」に充当する計画が立案された。しかし、この転用は以下の理由が絡み合う複雑なものであった。