聖書協会共同訳 新共同訳 違い

物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ 下記の記事で、そこで紹介した私の個人的なおススメはしかし、この「聖書 新共同訳」の出版元である「日本聖書協会」がこの改訂はということで、この記事では目次従来の翻訳は「直訳(原文の語順や言葉遣いに忠実な翻訳)」か「意訳(原文の語順や言葉遣いよりも意味を重視した翻訳)」かを軸にして、その特徴づけがなされてきました。しかし、聖書協会共同訳では、聖書協会共同訳が重視する読み手の目的というのは別の言い方をすれば例えば、詩編7編10節は聖書協会共同訳では以下のようになります。悪しき者の悪を絶ち新共同訳では以下のように訳されていました。あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし新共同訳が出版されたのが1987年。それから例えば、マタイの福音書23章23節は、新共同訳では以下のように訳されていました。薄荷(はっか)、いのんど、茴香(ういきょう)の十分の一は献げるがしかし、「いのんど」や「茴香(ういきょう)」を知っている現代人は多くはありません。従って、聖書協会共同訳では以下のように訳されます。ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるがまた、例えば、新共同訳のマタイによる福音書3章7節で「蝮(まむし)」と訳された言葉は、聖書協会共同訳では「毒蛇」と訳されます。その理由は、蝮は日本特有の蛇で中近東には生息していないからです。聖書協会が翻訳する聖書としては初めて、新共同訳でも引照が付いていたものはありましたが、聖書協会共同訳では以下の例えば、ローマの信徒への手紙1章26節の「女は自然な交わりを自然に反するものに替え」という箇所で「交わり」と訳されている言葉の「別訳」として、「性関係、性交渉」が脚注に付されます。最後に番外編の「特徴」として、以上、聖書協会共同訳の主な特徴と新共同訳からの変更箇所を実例を挙げて簡単に紹介しました。ご興味のある方は以下のサイトからお買い求めください。シェアする MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、新型コロナウイルスの感染拡大を懸念して5月分はオンラインでの配信となります。テーマは「神が共におられた人々③-ヤコブ」です。記事を読む MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、11/2(金)は原田が担当。テーマは「聖書の語る神②-神と悪(苦しみ)との関係からー」。10:20と19:20からの二回、お茶の水クリスチャン・センター404号室、参加費無料。記事を読む 聖書を読む時に大事なことが(少なくとも)二つ。一つ目は聖書が書かれた当時の文化・歴史的背景を理解すること、二つ目は聖書で用いられている文学的手法を理解すること。これら二つの重要事項について、創世記1-2章から具体例を挙げて紹介します。記事を読む MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、6/7(金)は原田が担当。テーマは「罪の本質、原因、結果」。10:20と19:20からの二回、お茶の水クリスチャン・センター404号室、参加費無料。記事を読む キリスト教に関することで「~について話して欲しい」「~についてもっと知りたい」という方がいらっしゃいましたら、(貴教会の牧師とご相談の上)お気軽にご連絡ください。超教派の集まりを企画されている方、ノンクリスチャンの方もお気軽にご連絡ください。記事を読む (主に)帰国者クリスチャンを対象としたスモールグループ・小グループの2019年12月の予定。帰国者またはクリスチャンに限らず誰でも参加可能。内容は聖書の学び・分かち合い、祈り合いなど。お気軽にご参加ください。記事を読む (主に)帰国者クリスチャンを対象としたスモールグループ・小グループの2020年6月の予定。帰国者またはクリスチャンに限らず誰でも参加可能。内容は聖書の学び・分かち合い、祈り合いなど。6月もオンライン(Zoom)で集まります。記事を読む MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、2/7(金)は原田が担当します。テーマは「神が共におられた人々①:イシュマエル」、お茶の水クリスチャン・センター404号室にて10:20から、参加費は無料となっています。どなたでもお気軽にご参加ください。記事を読む 全世界での発行部数がギネス記録になるほど世界中で読まれている(買われている?)書物。そんな聖書の「読み方(聖書を読む時の注意点)」を3回シリーズで紹介。二回目は人の言葉(言語)で書かれた「文学としての聖書」の性質に焦点をあててみていきます。記事を読む 「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、イエスに関する新約聖書の記述と考古学的発見が矛盾しているようにみえるものに焦点をあてます。聖書を読み解くために知っておきたい事柄満載の内容です。記事を読むご意見・ご質問は 日本語の聖書の翻訳は、主に3種類ある。ひとつは、「明治元訳・大正改訳」を源流とする、「文語訳聖書」。文語訳聖書を現代流の日本語に改定したのが「口語訳」である。 ふたつめは、1970年に初版を刊行した「新改訳聖書」である。新改訳聖書は、いわゆる「福音派」というグループを中心に、プロテスタントの一部に強く支持されている。 最後は、カトリック・プロテスタントが共同で翻訳した「共同訳」。1987年に刊行した「新共同訳聖書」は、現在、日本で最も読者が多いとされる翻訳 … 『聖書 聖書協会共同訳』の特長 カトリック、プロテスタント教会による「共同訳」 礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳 聖書協会訳聖書として初めて聖書全体に引照と注を付す 固有名詞、書名は『聖書 新共同訳』に準拠 『聖書 聖書協会共同訳について』初刷(2018年12月15日発行)に以下の誤りがありましたので、訂正してお詫び致します。 なお、当協会サイト内の ダウンロード版 では、すでに訂正しております。

Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 従来の翻訳は「直訳(原文の語順や言葉遣いに忠実な翻訳)」か「意訳(原文の語順や言葉遣いよりも意味を重視した翻訳)」かを軸にして、その特徴づけがなされてきました。しかし、聖書協会共同訳では、読み手の目的を重視した翻訳であることに特徴があります。聖書協会共同訳が重視する読み手の目的というのは「礼拝で朗読されること」。つまり、聖書協会共同訳は「礼拝にふさわしい聖書」となるように翻訳されたと言えます。別の言い方をすれば「簡潔で締まった日本語」を用いて訳されたとも言え … もともと旧約聖書はヘブライ語で、新約聖書はギリシャ語で書かれていました。それが英語やドイツ語、日本語など世界各国の種々の言語に翻訳されています。現在では2479もの言語に翻訳されており、アイヌ語にも訳されているくらいです。ここまで多くの言語に翻訳された書物は聖書以外には存在しないでしょう。この事実がまさに聖書の素晴らしさを物語っていると言えます。世界一のベストセラーは伊達ではありません。さて、それではそれぞれの訳の違いについて簡単にご説明します。(聖書翻訳 … 聖書は66巻で完結していますが、参考に旧約聖書続編付きを買いました。(更新中) 創世記2章1節. 今更な話ですが、日本聖書協会から、現在最も流通していると思われる日本語訳聖書「新共同訳」に続く新しい訳、「聖書協会共同訳」の発売が近づいているようです。と思ったらついにすでに発売されていたことがわかりました。 jios100さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか? 天地万物は完成された。(新共同訳) こうして天と地、そしてその森羅万象が完成した。(聖書協会共同訳) 森羅万象!斬新な訳です! 創世記2章7節 最近刊行した、新しい聖書翻訳、「   日本語の聖書の翻訳は、主に3種類ある。ひとつは、「明治元訳・大正改訳」を源流とする、 ふたつめは、1970年に初版を刊行した 最後は、 近年、「新改訳」と「共同訳」の新しい翻訳が、相次いで発表となった。2017年秋には、 私は、それぞれの新しい翻訳を手にとって読んでみた。面白い。 世の中に完璧な翻訳などない。それぞれに良さ、弱点があるのは言うまでもない。私も、「新改訳」には新改訳の良さがあり、「共同訳」には共同訳の良さがあると思う。  翻訳の評価は、何に主眼を置いたかによって基準が変わる。「 では、  聖書の神は、トリッキーな自己紹介をする。その部分を見てみよう。神は(神は(   これは、神が 日本語では、伝統的にこの名前を、 よくよく考えたら、当たり前なのだが、 そう考えると、 他にも、細かいが表現の違いに注目してみよう。・・あなたがたの・これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。・・あなたがたの・ いかがだろうか。「子ら」より「人々」の方が民族を指すと分かりやすい。「父祖の神」とは日常会話では言わないので、やはり「先祖の神」の方がシンプルだろう。最後は、これは好みだが、個人的には聖書協会共同訳の方が、「これこそ」と揃えて、体言止めで2つの文を揃えることで、詩的にパリっとまとまっており、読みやすいと思う。   日本語の基本は、「主語から書く」というものだ。そして、((  いかがだろうか。上の文は、太字で主語を示している。主語をまとめよう。・わたしの思いは、・・わたしの道は、・わたしの思いは、 ・私の思いは、・私の道は、・私の道は、・私の思いは、  実はこれ、 この場合、 原語をチェックすると、確かに直訳的には、新改訳の方が正しい。しかし、私の限られた  日本語は、それからイ(マタイのさて、イ  いかがだろうか。 また、太字で示した両者の違いも興味深い。 また、悪魔のセリフにも違いがある。新改訳はあくまでも丁寧な命令口調。一方、共同訳の方は「命じたらどうだ」と、いかにも誘惑する口調である。ここも面白い違いではないか。  日本語は、一文が短い方が圧倒的に読みやすい。以下、比べてみた。神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。囚われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、(主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため、主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み、囚われ人に自由を、つながれている人に解放を告げるために。(    聖書協会共同訳の優れたところに、  まず、以下の聖書の言葉を比べてみてほしい。万軍の主のぶどう畑は万軍の主のぶどう畑とは、(  一見、何の変哲もない翻訳に見えるが、公正:ミシュパト流血:ミスパハ正義:ツェダカ叫び:ツェアカ    他の工夫もある。例えば、聖書で一番長い箇所として有名な、   また、聖書協会共同訳には、用語の補足がある。例えば、以下を見てみよう。(マタイによる  この「毒蛇」や「箕」を指す言葉は何なのか。毒蛇といっても、様々である。毒蛇:クサリヘビ箕:農用フォーク なるほど。これなら分かりやすい。「クサリヘビ」とネット検索してみれば、画像が一発で出てくる。 面白いのは、同じ「蛇」でも、マタイ3:7の「毒蛇」は 他に同じような欄外解説の例を挙げれば、「恋なすび」 → 「「乳香」   → 「「岩狸」   → 「ハイラックス」「かもしか」 → 「ガゼル」 などがある。 確かに、   ここまで書くと、聖書協会共同訳が圧倒的、と見えなくもない。頑張れ、新改訳! と思うかもしれないが、彼らが食事を済ませたとき、イイイ(食事が終わると、イ二度目にイ三度目にイ(  これは、イ しかし、ここに重要なカギが隠れている。イペテロ:フィレオー イペテロ:フィレオー イペテロ:フィレオー  お分かりいただけただろうか。イ しかし、イ さて、この「アガパオー・フィレオー」のくだりは、当然、   聖書協会共同訳の底本も確認したが、原文の 私が書いた解釈は、あくまでも解釈の一つにすぎない。しかしその意味合いは各自が考えるとしても、原語がわざわざ違う表現で書いてあるのだから、それを翻訳の際に読み手に伝えるのは翻訳者の大切な役目だろう。 もっとも「アガパオー」と「フィレオー」の意味を知らない人にとっては、そもそも、新改訳2017の表記でも分からない。せめて、「アガパオー・フィレオー」の簡単な意味くらいは、注釈に書いてほしいものである。   聖書の神は、世界を造った創造主であり、唯一絶対の神である。神は、徐々に自信の名前について明らかにしている。神は、 聖書の中には、神を示す言葉が何種類もある。   そこで、 「アドナイ」など「YHVH」ではない「主」は通常の太さで表記する。また、省略形の「YH」は、太文字の「  アブラムは(創世記 15:6〜8)アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。主は言われた。「私はこの地をあなたに与えて、それを継がせるために、あなたを(創世記 15:6〜8)  ここには、様々な「主」が登場するが、それぞれ全く違う表記である。違いをカッコ付で書くと以下のようになる。アブラムは(創世記 15:6〜8)  ご覧の通り、 また、ここまで読んでお気づきになった方は、相当鋭いが、    神の名前、「YHVH」には、<私は言った。私は(欄外の表記 *「ヤハ」)(<聖書協会共同訳>私は言った。私は主を見ることはない、主を生ける者の地で。(中略)私は機を織る者のように自分の命を巻き終わった。主は、織り糸から私を切り離された。(  この場合、「主」という日本語は、いずれも3回登場する。 この問題を解決するため、  「YHVH」:太文字の「「アドナイ」:普通文字の「主」「YH」:太文字の「「エロヒームのふりがながあるYHVH」:太文字の「 すべて普通文字の「主」   さて、内容ではなく、物質そのものを見てみよう。「聖書協会共同訳」の最も大きな弱点がここにある。   なぜ  私は、聖書は常に持ち歩き、地下鉄の移動など、暇さえあれば聖書をひらき、読むようにしている。もちろん、昨今はアプリの聖書などがあるので、 しかし、    なお、これは意外と重要なのだが、 では、この両翻訳は、どちらが「ぬめり感」があるのか。 というか、聖書協会共同訳のページが、ものすごくめくりにくい。圧倒的にめくりにくい。 神の言葉を紡ぐ、聖書の出版なのだから、   双方ともダサい! ダサすぎる!! 長いわ!!! 覚えにくいわ!!!!  なんやねん、「新改訳2017」って。なんで2017やねん。何やその数字。 「聖書協会共同訳」って、何なの? 長い名前つけるの流行ってるの? 覚えさせる気がないの? 浸透させる気がないの? 「新共同訳」がなまじ「新」ってついちゃっているだけに、苦労したのだろうが、「聖書協会共同訳」って、これじゃあ「新共同訳」とどっちが新しいか分からない上に、覚えにくいし、言いにくいし、何のメリットもない。まだ候補だった  しかも、以前記事を書いたように、「神」「愛」「教会」「洗礼」「牧師」などの悪しき翻訳ミスは、一向に改善されないまま、従来の翻訳を踏襲している。これは、「明治元訳・大正改訳」からの悪しき伝統である。いい加減にしてほしい。早くここから脱却してほしいものである。「神」や「愛」は、日本語そのものに定着してしまったから仕方がないとして、「教会」「牧師」だけでも何とかならないものだろうかと、個人的には思っている。 ただし、表紙のデザインは両方とも、結構オシャレでGOOD。   例にもれず長文記事となってしまった。ここらで筆を置こうと思う。私が最も伝えたいのは、 しかし、どの翻訳も、エキスパートたちが、考え、考え、考え抜いて翻訳している。私が今回挙げた点など、いくらでも論破されてしまうだろう。     <参考リンク>  (了)