奏 未来 プロフィール

%s と連携中愛奏 (MANA) ael-アエル-のプロフィールページです。 有光陽稀 ( ありみつ はるき ); 雫月LEE ( しずき りー ); 綾目夏向 ( あやめ かなた ); 日和乃愛 ( ひより のあ ) この地球で、もう50年近く生きています。(もうすぐ2020年)幼い時から不思議な体験をしてきました。…と同時に辛い経験も人並みに体験してきました。生まれて間もなく、私は母と引き離されました。お腹の中ですくすくと成長し、この世に生まれて来た赤子にとって、母親の存在は大きいものだと容易に推測できます。そして無防備な赤子は、誰かの庇護(ひご)失くしては生きていけない無力な存在です。私は赤子の時に母と引き離され、祖母に育てられました。母と引き離された時の「怒りと悲しみ」に蓋(ふた)をして、引き離した張本人である祖母に身を預なければ生きていくことはできませんでした。私は生後8か月で死にかけた時の記憶が鮮明にあります。普通なら死にかけたような辛い記憶は、成長の過程で消してしまうのだそうですが、私は母の腕に抱かれて病院へ連れて行ってもらったのと、入院中10日間は、毎日母が会いに来てくれたというのが、嬉しい幸せな記憶として残りました。28年以上経ってから、当時の病院の急患を受入れる診察室の場所や、エレベーターの色、階段の位置などを永く勤務されている婦長さんに話してあまりにも鮮明に覚えていることを驚かれました。母からは、「8か月の時のことを何で覚えているのか?」と驚かれました。幼少期に何度も母とは引き離されました。祖母は母のことをとても嫌っていたので、祖母は私に嘘を話して母が悪者になるような刷り込みをしました。家でも私が入浴時の脱衣所を父親が毎日のようにのぞいていました。ある時 気配に気が付いて、母に助けを求めると、母は自分が女性として認められていない嫉妬の矛先を私に向けてきました。19歳の時、大好きだった彼と別れさせられた時には、絶望のどん底を感じていました。やっと手に入れた幸せを壊され、心も壊れました。2か月間、ほとんど何も食べず、拒食症になりました。私の心は死んで何も感じなくなっていました。生きる人形です。大好きな彼と引き離されるまでの私は、自分の自由は無く、全て「○○しなさい。」と母の命令に従うしか生きる道はなく、自分を表現することは「死」意味していました。自分を表現すれば、風化して存在が消えるまで「否定」されました。自由は無く、心は操られていました。走るのが早く、スポーツは何でも得意でした。小学生の頃から県大会など選抜メンバーで放課後に残って特別チームのメンバーと訓練を受けていました。集中できることは嫌なことを忘れられました。期待されていましたが、評価されるものができると、母は何かの理由をつけて、私からそれら全てを奪っていきました。どんなに努力しても、どんなに打ち込んでも、いつも私には何も残りませんでした。チャンスという目は全て刈り取られ、母の言うなりでした。そうしなければ、生きていけない環境でした。小学生の頃には新聞の広告の折り込みをして働いていました。母は働くのが嫌いでしたので、私の仕事は増えて、小学校5年生から高校生になっても毎朝5時前に起きて、新聞配達をしていました。1か月毎日配達して1件300円 65~80件を配達していました。田舎なので、自転車で沢山走りました。私がお給料をもらうことはありませんし、家計を助けるという使命感のみでした。学校ではいじめられ、家では居る場所も無く、冬の朝は本当に寒くて辛かったです。幼いころから自分を押し殺して、心を失くしてしまっていたので耐えられたんだなと思います。父は暴力、母は宗教の言いなりでしたから、「私のような人間が、大好きな彼と結婚したら、相手の家族に迷惑を掛ける」と思い、愛しているゆえに私から別れを告げました。あまりに辛い現実に、遠くへ行きたくて、1度は結婚してみました。農家のお手伝いをしたり、自分なりに田舎の嫁をやって役に立とうと頑張りましたが、子供に恵まれませんでした。何度もお腹の中で育たず死にました。田舎の長男、子供を産めない嫁、若くて奇麗で目立っていたので、当然 陰で色々と話のネタになりました。50cm以上もあるムカデや、掌くらいある蜘蛛(くも)や、田舎の生態は度肝を抜くものばかりでした。寒くて、粉っぽくて、暗くて、華やかなものは無く、それでも若い20代の前半を捧げて頑張りました。手に職をつけようと思い、大阪へ出てきて、夜は血液検査の検査技師の仕事をしながら、昼はトリマーの専門学校へ通う日々を2年間続けました。本当によく頑張って資格を取り、就職し運命の人と出会いました。その人は、カルマの関係で、何度も助けたり、助けられたり、何度も騙されたり、ひどい目にも何度も合いましたが、結局は「ソウルメイト」なので、傷つけ傷つき合い、お互いを成長させながら、愛も絆も育っていきました。子供にも恵まれた反面、人生の美しい時を共に過ごせると望んだパートナーは、ずっと不在で、孤軍奮闘ずっと独りで仕事も子育てもしてきました。未来の希望ばかり口にして、口先だけの相手でしたが、魂の絆を強く感じる奇跡がいつも沢山起こり、いつも私を踏みとどまらせてきました。気が狂いそうな状況と孤独の中で、私の感性はさらに殺されていきましたが、不思議なことは続きました。「予知夢」を見ることは昔からよくあることでした。夢を見た時点では、考えてもいなかったことを後から体験して「予知夢」だったと確認することが繰り返されました。パートナーも子供が欲しいと同じ思いでしたので、不妊治療をしていました。念願の子供ができた時、驚くことが起きました。パートナーは私を捨てて去って行きました。今思えば、私が世間知らずなだけで、よくある話です。私は何度も子供を生きて産めずに死産していましたし、母も祖母も30代後半には子宮摘出手術を受けていましたから、チャンスは限られていると思いました。そして直感で「この子は生まれる!」と強い確信を持っていました。江原浩之さんにも励まされ、生まれて来た時は、本当に奇跡でした!天井いっぱいに雲が広がり、ヨーロッパの神殿の天井の壁画のように天使が何百人?!ラッパを鳴らしたり、拍手したり、音楽と光が満ちて、喜び、輝きと祝福であふれる光景を見ました。ちなみに天使の大合唱と祝福は、長男の時だけで、次男と長女を出産するときは見えませんでした。3Dのキラキラした天使のシンボルがクルクルと回っている。30cmくらいある虹色の天使のシンボルマークがクルクルと回転して不思議でした。とても大きな大天使が天井から半身だけ現れて見下ろしていたり。家の中を小人(ノーム)が凄いスピードで走っていて目が合ってニヤリ☆とされたり。台風の時に、光の声に呼ばれて外に出ると、頭の上をとんでもなく大きな龍が渦巻いていたり。幼いころの体験も書き出すときりがないので省きますが、不思議な体験にはいとまがありません。科学では到底説明がつかない体験を繰り返す度に、その体験にどんな意味があるんだろう?って思うようになりました。出産後ほどなくしてパートナーは戻ってきましたが、ほとんど不在は変わりませんでした。私はアロマテラピーやマッサージが好きです。言葉として、私の身体に伝わってくるものはわかりやすいです。ヒラメキ☆的な感じで、一瞬で全体を理解する時もありますし、相手の人相から読み取れる時もありますし、奇跡的な流れを読んだりするときもありますが、その時々で変わるし、私の中では未だ体系化できていません。自分の中で感じることができない時もあって、ある方から「ハートチャクラ♥が壊れているのは、インナーチャイルドが癒されていないから」と言われたこともあったり、自分なりにその理由とか原因を探求しています。その過程の中で、龍神様のご縁でつながったのが、改めて別系列の「靈氣(レイキ)」を習うご縁であったり、イルカのご縁でつながったHAWAIIへ2か月間行くことになったり、なぜHawaiiなんだろう?って思っていたんですけど、ある宇宙系のチャネラーさんから私が絵を描くことも、ヒーリングをすることも、全て地球とひとつである事や、宇宙と一体である感覚を大切にしていて表現していきたいと思っているからです。自然の中の一部であることの「感謝」や「調和」や「美しさ」や「喜び」といった「愛」を感じながら、地球での人生を楽しみ、味わい表現することが私の今世大切にしたいことです。永~くなりましたが、読んで下さって本当にありがとうございました。2020年は様々なチャレンジをしていきます。登録者数100人以上でスマホでライブができます。以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

タロット占い鑑定内容こんにちは。スピリチュアルタロット占い師 月杜 奏音(つきもり かのん)です。福岡で、電話鑑定とメール鑑定にて、あなたが一歩を踏み出せるための、背中を押すお手伝いをさせて頂いております。お仕事(転職・復職・適職等)のお悩