北海道 鶴居村 タンチョウ

鷲(ワシ)の撮影記。機材やカメラ設定などについてもお話してみます。 秋の京都、紅葉で有名なお寺にてコンデジとスマホで撮影した時の様子。 コメン … その名の通り「鶴が居る」村、北海道鶴居村。タンチョウの生息・繁殖地として地道な保護活動が行われ、穏やかな農村風景の中に、タンチョウのつがいが飛ぶ姿が見られます。「日本で最も美しい村」連合にも加盟しており、冬はその美しい風景とタンチョウの姿を一目見ようと、たくさんの観光客がカメラを携え訪れています。「今の時期は、タンチョウの子どもも大人と同じくらいの大きさに成長しているけれど、見分け方は、首が茶色いのが子ども。タンチョウは性格もそれぞれ違って、子どもに餌を食べさせてやるくらい過保護なのもいれば、放任主義なやつもいるんだよ」そう教えてくれるのは、鶴居村教育委員会にタンチョウ自然専門員として勤務する、音成邦仁さん。役場の中にそのような役職があるのも珍しいですが、どんな活動をしているのでしょうか?聞けば、東京出身で日本野鳥の会の職員として鶴居村に配属されたことがきっかけだったそうです。まずは、音成さんが今の役職に就いた経緯から聞いてみました。東京出身で、大学卒業後も都内に本社のあるレジャー関連の会社に就職した音成さんは、5年目に栃木県のゴルフ場に異動になりました。「近くに知り合いもいないので、休みの日は何をしようかと。田舎で周りに自然も多かったので、ふと中学生のころに一時夢中になっていた野鳥観察をしてみようと思い立ちました」中学生のころに見たかった鳥にも会うことができ、それから休日には野鳥を見に行くようになったのです。8年ほど栃木で働き、ある時「日本野鳥の会」が主催のレンジャー養成講座の案内を見つけて通ってみることにします。その時はあくまで趣味の延長で、学生や社会人など幅広い受講生との交流が楽しかったそうです。その後、その講座の修了者を対象としたインターンシップの案内が届きます。当時はバブル経済が崩壊し、ゴルフ場の将来にも危機感を抱いていた音成さん。「次はこの仕事をしてみるのも面白いんじゃないか」と思い、応募してみたら合格し、鶴居村への配属が決まったのです。当初は正規職員ではなくインターンシップ、しかも思ってもみなかった北海道への移住。すでに結婚もしていた音成さんでしたが、奥さんも柔軟な感覚の持ち主で、最初は驚いたものの家族での移住を快諾してくれたそうです。「日本野鳥の会」での業務内容は、タンチョウの保護や広報活動。鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリを拠点に、タンチョウが訪れる冬は来場者に向けてタンチョウの生態や絶滅危惧種であることなどの説明をし、夏場はタンチョウを繁殖させるための保全調査や作業を行ったり、写真展などのイベント、学校での出前授業などを企画していました。最初はインターンでしたが、2年目からは職員となり7年間勤務。施設の20周年記念行事の運営も経験し、「この地域でもっとこんなことがやりたいな」という気持ちが高まったタイミングで異動を命令。音成さんは考えた末、日本野鳥の会を退職して鶴居に残ることにしました。最初から鶴居やタンチョウに興味があったわけではなく、たまたま配属になった地。そこに残ろうとした理由は?「鶴居の人の魅力だったり、タンチョウがいるのが当たり前という環境の面白さ、かな」と音成さん。鶴居村に来た時の最初の仕事は、春先にデントコーン畑に来るタンチョウを追い払うことだったと言います。「牛の飼料になるデントコーンの畑に種を撒く時期だったんだけど、増えたタンチョウが撒いた種を食べちゃうの。だから、畑を見回って、タンチョウがいたら追い払うのが見習いレンジャーの仕事。農家の人としては、迷惑なタンチョウを保護する日本野鳥の会を良く思っていない人もいるから、最初に挨拶に行った家では怒鳴られたんだよね」その後も多くの農家に通って話をしているうちに、食害だけでなく観光客のマナーなどいろいろな問題がある半面、「うちには○時ころ来るんだ」「○月ころには来なくなる」「この前、あのツルが子ども連れて来たぜ」と、決して忌み嫌っているわけではなく愛着を持っている側面を知ることになります。「農家の人は自分たちよりよくタンチョウを見ていて、立場によっていろいろな見方がある。そこが面白いと思いました」音成さんは、「タンチョウコミュニティ」という団体を立ち上げ、村のタンチョウ愛好者らと共にタンチョウの保護活動を始めます。「日本野鳥の会のころは大規模な全国組織ということもあり、よそ者感がありましたが、もっと地域に根ざしたい、村民になりたいと思って自分にできる活動を始めました」タンチョウコミュニティでは、エサとなるデントコーンを自分たちで作って地域の人にタンチョウと関わるきっかけを作る活動や、農業とタンチョウの共生を図るために農家にアンケートをとって意見を聞く活動、子どもと一緒に外で遊ぶ活動などを行いました。タンチョウのエサ作りのヒントをくれたのは、農家の人だったと言います。「強風などで倒れたデントコーンがあったら、『これツル用に使っていいよ』と言って譲ってくれたり、バイオ燃料が注目されてタンチョウのエサとなるデントコーンが不足した年は、『うちのを使って』と言ってくれたり。そうやって協力してくれる方のおかげで、農家の一角を借りてデントコーンを作らせてもらい、子どもたちと収穫体験もする活動につながりました」ちなみに収入源としては、活動を理解してくれる人からの寄付、民間の助成金への応募、そしてガイドの仕事や行政からの調査依頼などタンチョウ関係でも各種あり、その他農繁期には農作業のアルバイトをするなど、地元での人脈作りにもなる方法で賄っていました。活動を進めるうちに知り合いも増え、知らない農家はいないというほどになっていきました。一方、鶴居村のタンチョウを取り巻く環境にも変化が起こります。環境省では1984年からタンチョウの冬場のエサ不足を解消し生息数を増やすため、鶴居村と釧路市で給餌事業を行ってきました。しかし生息数が千羽を超え、生息域が集中することによって感染症の発生や農業被害の拡大が懸念されることから、2015年度から給餌量を減らし、2019年度には2014年度対比5割減とし、将来的には給餌を終了させると発表したのです。観光・農業の面でも、タンチョウとともに歩んできた鶴居村にとっては、「今後もタンチョウとの関係を保っていくために、専門の職員を置く必要がある」と村長・教育長が判断。その役目としてこれまでタンチョウの保護や観光客・村民への啓発活動、農家との共生に尽力してきた音成さんに白羽の矢が立ち、2018年4月からタンチョウ自然専門員として鶴居村教育委員会に専任配置されました。「日本野鳥の会で7年、タンチョウコミュニティとして10年経験を積んできて、ちょうど良いタイミングだったと思います」着任して最も大きな取り組みは、「鶴居村タンチョウと共生するむらづくり推進会議」の運営です。タンチョウの保護に携わる人や農業、観光関係者、商工業者など20名が委員に選出され、今後のタンチョウとの関係づくりについて意見を交わします。全体での議論のほか、タンチョウの保護、農業との共生、観光・地域振興の部局に分かれて今後の方向性を探っていきます。音成さんは、事務局として取りまとめや助言を行っています。鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリには、今も多くの観光客が訪れ、特に欧米やアジアからの外国人は近年増えていると言います。給餌場には三脚を立ててカメラを構える観光客や地元の愛好家がずらりと並び、タンチョウが飛び立つと一斉にシャッター音が鳴ります。鳥は好きだけれど、それだけなら鶴居村でなくてもよかったという音成さん。「やっぱり、タンチョウを取り巻く人が面白い。人が好いし、タンチョウを愛しているところが良いね」今後、村とタンチョウの付き合い方をどうしていくかはいろいろな可能性がある、と音成さん。17年にわたりタンチョウを見つけてきたエキスパートとして、ご自身の意見もあるのでは?「今の立場としては、自分の思いよりもいろいろな人の思いをまとめて、全体で納得できる方向に持っていくのが大事。その面白さもあるし、勉強になりますね」タンチョウを愛し育ててきた村だからこそ、音成さんのような熱い人材が活かされる。その関係性にも、今後注目していきたいものです。寒さにも負けず、たくさんのカメラがタンチョウを追っていました。観察場はいつでも自由に入ることができます。北海道阿寒郡鶴居村鶴居東5丁目3番地0154-64-2050