湖西線 113系 置き換え
1991年になると、2両編成で残った非冷房車3本は、前述の対象車はすべて偶数向きの非冷房だったことから奇数向きに方向転換のうえ、前述のクハ111-819は、対象車は全て偶数向きで前後して残った3両編成の一部が4両編成に組み換えられ、車両需給の都合でクモハ112を含む4連1本が一時的に広島地区に転用されたり、全電動車やクハ111+クハ111+モハ113+クモハ112といった編成も発生した。しばらくはこの状態で推移したが、この際クモハ112に組み込まれていたクハ111はモハ113形に運転台機器を提供し廃車となった。最終的には純粋な4両編成3本(クハ111-807+モハユニット-804+クハ111-808、クハ111-809+モハユニット-805+クハ111-810、クハ111-817+モハユニット-809+クハ111-818。全て国鉄時代に改造されて以来変化なし)と編成相手の電動車が3800番台に改造されたために保留車となったクハ111形2両(822・828)だけが残っていた。しかし、転用先が無く、車齢も高かったことから2004年に廃車され、当初の改造目的通りの使用がされていた車両とモハ113形、モハ112形の形式が消滅した。

これに伴い汚物処理装置装備車が不足する大垣区では、静岡区の同装置装備車との交換転配が行われた。静岡区ではトイレ使用可能車を捻出するため、トイレなし2100番台3両と汚物処理装置未装備車の0'番台1両をT編成に組み込み、奇数向きトイレ使用可能車を4両をローカル用に転用。同時に前述のATS-P型取り付けを考慮し、編成に含まれていた1000番台初期車を0'番台車に置き換えを実施した。なお、C-AU711D形搭載のクハ111の中で編成両方とも汚物処理装置未装備車が存在したが、偶数向きのみ使用可能とし、汚物処理装置は装備されなかった。 本車両も2007年に廃車されて区分消滅となっている。 改造費用の面や車両の使用期間(残耐用年数)の面からその後、JR神戸・京都線からの撤退に合わせ、網干車と宮原車は編成替えが行われ、F編成(4両×10本・日根野)とT編成(8両×3本・宮原)の統一リニューアル編成が組成された。このうちT編成に組み込まれる元網干車のサハ111形7000番台の6両は撤退後に唯一廃車を免れたJR西日本最後のサハ111形であったが、モハ113形5700番台40N車。5000番台も基本的に同じ形態。右のモハ112形5700番台とともに旧モハ112形5700番台40N車。写真の車両はパンタグラフが増設(手前側)されている。

103系は大阪環状線や阪和線で置き換えが進んだためか、98両にまで減っています。 さて、この一覧の下に、3つの注記があります。381系、113系・117系、681系・281系・283系に関する置き換え計画で … 本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。 クハ111-0'番台、2000番台は運転席、助手席部分の窓が小さく、客室からの前面展望および車掌乗務時の客室展望が良くなかった。このため1991年から1994年にかけて対象全車にこの工事が行われた。なお、Hゴム押さえだったガラス支持は拡大時に金属押さえに変更し、拡大時に支障となる機器は移設された。ATS-P取付車は設定器を助士席窓下部に取り付けたため、あわせて助士席の椅子が撤去された。なお、クモハ113は先頭車改造時に施行されている。窓面積はクハ111改造車より大きい。 過去の車両


1999年にかけて多数の車両で施行された。このうち静岡区所属の0'番台車クハ111-225、547にも同様の工事が施行されている。 過去の車両

-276と-278はクハ111形は前述のとおり、非冷房車は除き奇数向き (Tc) ・偶数向き (Tc1) ともに両渡り構造のため、静岡地区では国鉄末期 - JR初期に伴い改番を伴わない方転改造車が存在した。これらは付番は新製車の追番。改造内容は側引戸の半自動化とシャッター付タイフォンカバーの取付(新製車とは異形状)と予備笛の追加である。JR化後に全車1984年2月1日の民営化後の1994年には、JR西日本で房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があったのと、クハ111-1307、モハ112-1027の事故廃車補充および伊東線用の4+7編成1本を11両編成1本に組み替えるために、サハ111形300番台と同じ理由で脱線事故によりユニットの片方を失ったモハ113-1027をこの時期には国鉄の財政事情も厳しくなっており、各地から集めた余剰車を改造することとなった。種車となる113系0番台の捻出は、京阪神の編成は輸送需要を考慮して2M2Tの4両編成、2Mの2両編成が組成され、2両編成の先頭車化改造車はクモハ113形・クモハ112形に区分された種車は大部分がグローブ型ベンチレーターを持つ最初期に製造された車両で、寒冷地には不向きであったが、冬季の雪や冷風の吸い込みを抑えるためのカバー取り付け(車両前後方向の吸気口が塞がれ、開口面積が半分程度にされた)が行われたのみで使用された。また、種車の関係で非冷房車の率が比較的高く、800番台化改造時に冷房搭載が行われた車両も電源用MGは廃車となった特急型電車の戸閉機械も本来半自動用でないTK4形の改造品を搭載しており、当初からの半自動対応車よりも開閉し難くなったことから、客用扉の取っ手は持ちやすいよう従来より大型の物が設置された(同様の工事を受けた元番号とは関係なく、改造順に801 - の番号が付された。クハ111形は他番台のような向きによる番台区分はされず、CP無しの東(奇数)向き先頭車は奇数番号、CP付きの西(偶数)向き制御車は偶数番号とされた。国鉄から大量に継承したが、新形式の投入に伴い現在は全車両が定期運用を退いている。

編成内容は以下のとおり。

後年、後述する後年これらの編成に体質改善工事が実施されると、湖西線・草津線用5700番台との差し替えが行われた。山陰線用となった5700番台には自動解結装置と電気連結器の取付が実施されたが、改番は行われていない。一方でTc車7500・7600番台は約半数が装置の撤去を行われ、原番号に復帰した。装置撤去の対象車は以下のとおり。

1985年3月のダイヤ改正で余剰となった165系グリーン車を113系グリーン車に改造したもので形態的には回送運転台用ライトの有無と2段式のユニット窓(165系時代に下降窓から改造)以外は前述のこれにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1988年から1990年に29両、トイレ付きのサロ125形が1990年に5両製造された。将来的には、車掌室とトイレを向かい合わせた形で2階建グリーン車を2両連結することとしていたが、投入当初は両形式とも4号車に組込まれ、2階建+平屋の組合せとした。このため、サロ125形は登場時点でサロ124形と同じ向き(方向転換し本来の向きと逆の状態)で組み込むため、引通しを両渡りとして使用していた。後述の211系への改造時に本来の向きに戻されサロ124形と組んでいる(逆にこの時は両数の多いサロ124形の一部が方向転換と引通しの改造を実施することになった)。 5700番台40N車の車内。他の番台も基本的に同じ意匠。

パッキン材など一部の部品に使用されていた木材は廃され、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料も難燃性・不燃性材料に変更されたほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策がなされている。また、1972年以降に落成した先頭車(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339)は前照灯がシールドビームに変更されるとともに、方向転換不能とされ、主制御器もメンテナンスフリー化を図ったCS12Gに変更された。

2008年から広島運転所の103系置き換えのため、113系が編成単位で配置されるようになった。このうちF-09・12・15編成がこの塗装を纏ったが、P編成の投入に伴って廃車が進み、同編成も115系化改造および廃車された115系のうち、現有車両 小浜線用5700番台の車内。小浜線用車両のみ、座席がワインレッドで、半自動ドアボタンの色も異なる。