ヨハネ 伝 第5章

イエスは答えられた、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」。 人もし我に事へんとせば、我に從へ、わが居る處に我に事ふる者もまた居るべし。人もし我に事ふることをせば、我が父これを貴び給はん。 あなたがたこそ祭に行きなさい。わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから」。 イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。 ここに兵卒ども來りて、イエスとともに十字架に釘けられたる第一の者と他のものとの脛を折り、 その中の或者ども言ふ『盲人の目をあけし此の人にして、彼を死なざらしむること能はざりしか』 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。 彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに、世は彼を知らざりき。 これらの事は、ヨハネのバプテスマを施しゐたりしヨルダンの向なるベタニヤにてありしなり。 屈みて布の置きたるを見れど、内には入らず。

人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。 外貌によりて裁くな、正しき審判にて審け』 さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。 乃ち言ひあらはして諱まず『我はキリストにあらず』と言ひあらはせり。 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。

よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。 大祭司の僕の一人にて、ペテロに耳を斬り落されし者の親族なるが言ふ『われ汝が園にて彼と偕なるを見しならずや』

the ruler of this world (ギデオン英訳) こののち、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らと一緒にそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。 ユダヤ人こたふ『なんぢを石にて撃つは善きわざの故ならず、涜言の故にして、なんぢ人なるに、己を神とする故なり』 まことに誠になんぢに告ぐ、なんぢ若かりし時は自ら帶して欲する處を歩めり、されど老いては手を伸べて他の人に帶せられ、汝の欲せぬ處に連れゆかれん』 先に墓にきたれる彼の弟子もまた入り、之を見て信ず。 明くる日イエス、ガリラヤに往かんとし、ピリポにあひて言ひ給ふ『われに從へ』 時はユダヤ人の祭なる過越に近し。 父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。 彼をイエスの許に連れきたれり。イエス之に目を注めて言ひ給ふ『なんぢはヨハネの子シモンなり、汝ケパ(釋けばペテロ)と稱へらるべし』 彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。 父は誰をも審き給はず、審判をさへみな子に委ね給へり。 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 ユダ一撮の食物を受くるや、惡魔かれに入りたり。イエス彼に言ひたまふ『なんぢが爲すことを速かに爲せ』 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。 貧しき者は常に汝らと偕に居れども、我は常に居らぬなり』 彼らが信じ得ざりしは此の故なり。即ちイザヤまた云へらく、 かくて人々イエスをカヤパの許より官邸にひきゆく、時は夜明なり。彼ら過越の食をなさんために、汚穢を受けじとて己らは官邸に入らず。 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。 われ來りて語らざりしならば、彼ら罪なかりしならん。されど今はその罪いひのがるべき樣なし。 当ウエブサイトは、カナダ・BC州在住の 実 と Sarah が運営しています。文章や紹介の内容は私たちの意見や考えが反映されています。聖書の語るイエス・キリストの福音、神様の愛、そして創造された人間の本来の生きる目的とは何か、ということをブログをご覧になる方々と一緒に考えて行ければと願っています。シェアされている文献やビデオなどは個人のご利用のためのみにお使いください。それ以外の用途でご利用を希望の方はまずはご一報ご願います。私たちは、クリスチャン・ミッショナリー・アライアンス・カナダの信仰・信条に基づいています。集っている教会、コキットラム・アライアンス教会の情報

イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。 イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。 (その實イエス自らバプテスマを施ししにあらず、その弟子たちなり) その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、 ここに彼ら言ふ『われら神の業を行はんには何をなすべきか』 過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」。 イエス答へて言ひ給ふ『まことに誠に汝に告ぐ、人あらたに生れずば、神の國を見ること能はず』 また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。

イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。

我ら今なんぢの知り給はぬ所なく、また人の汝に問ふを待ち給はぬことを知る。之によりて汝の神より出できたり給ひしことを信ず』 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。

わたしたちはこの人がどこからきたのか知っている。しかし、キリストが現れる時には、どこから来るのか知っている者は、ひとりもいない」。 もし彼をこのまま捨ておかば、人々みな彼を信ぜん、而してロマ人きたりて、我らの土地と國人とを奪はん』 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。

わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」。 ここにアンナス、イエスを縛りたるままにて、大祭司カヤパの許に送れり。 しかし、数そうの小舟がテベリヤからきて、主が感謝されたのちパンを人々に食べさせた場所に近づいた。 わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
祭司長・パリサイ人らは、イエスを捕へんとて、その在處を知る者あらば、告げ出づべく預て命令したりしなり。 此等のことを語り給へるとき、多くの人々イエスを信じたり。 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。 モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。 汝われを世に遣し給ひし如く、我も彼らを世に遣せり。
イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。 自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない。 この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 ニコデモ答へて言ふ『いかで斯かる事どものあり得べき』 群衆がイエスを迎えに出たのは、イエスがこのようなしるしを行われたことを、聞いていたからである。 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。

イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。 夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。 之によりて我なんぢらは己が罪のうちに死なんと云へるなり。汝等もし我の夫なるを信ぜずば、罪のうちに死ぬべし』 これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。 我は善き牧者なり、善き牧者は羊のために生命を捨つ。 祭司長・下役どもイエスを見て叫びいふ『十字架につけよ、十字架につけよ』ピラト言ふ『なんぢら自らとりて十字架につけよ、我は彼に罪あるを見ず』