インド ジャイナ教 聖地

僕たちが遥々インドの西側の隅っこにある街『ジュナーガル』へ来た理由は『ジャイナ教』の聖地『Mt.Girnar=ギルナール山』へ行くため。 因みにジャイナ教ってどんな宗教? 僕たちもインドに来る前までは、全く聞いたことのない宗教でした。 by Erica Sekine by chatoranta by Compathy Magazine編集部 インドと仏教の関わりは広く知られていますが、インドの葬儀に詳しい方は少ないのではないでしょうか。今回は、インドの葬儀に参列するときに覚えておきたい、マナーや流れ、服装と香典について、また日本の葬儀との違いについてもご紹介します。 by Compathy Magazine編集部 by 蛍

生まれ育ちから海外経験が多かったので、その経験を活かして少しでもみなさんのお役に立てる記事を書いていけたらと思っています。 インド在5年 2020-02-24 2020-06-06 哲学・宗教, 歴史, 民族・文化 7s Comments. https://www.compathy.net/magazine/2015/12/11/religion-in-india-and-hinduism インドの宗教ってなにかご存知ですか。仏教?ヒンドゥー教?最近では、アジアに一人で行かれる女性も多く、インドも人気が出てきている国の一つ。せっかくインドに行くなら、インドの宗教について、少し勉強してみてはいかがですか。今回は、インドの宗教とヒンドゥー教についてご紹介したいと思います。 最近では、アジアに一人で行かれる女性も多く、インドも人気が出てきている国の一つ。せっかくインドに行くなら、インドの宗教について、少し勉強してみてはいかがですか。今回は、インドの宗教とヒンドゥー教についてご紹介したいと思います。  インドは、紀元前3世紀頃にマウリヤ朝のアショーカ王により、インドのほぼ全土を統一されていましたが、それ以降は、グプタ朝をはじめゴンドワナ王国、サイッド朝、バーマン王国など、大きな勢力が現れることはなく、小さな勢力がちょこちょこと現れる時代が続きます。16世紀になるとイスラム系の王朝であるムガール帝国が現れ、18世紀には一大勢力となりインドのほとんどを治めることになります。つまり、それまではずっと小規模な勢力が支配していたのです。その後、ムガール帝国はイギリスの支配下になりますが、第二次世界大戦後に独立します。このような歴史を持つインドでは、ヒンドゥー教、イスラム教、バラモン教、キリスト教、仏教、シク教など、多様な宗教があります。Photo credit: Hideki Tanaka「インドで一番信仰者の多い宗教。現在のヒンドゥー教とは、古代インドから続いている風習や儀式、制度など全てのことを指します。神への信仰と共に、輪廻や解脱などの独特な概念を持ち、身分や職業、生活様式が深く関係するカースト制を持つ宗教として有名です。ヒンドゥー教には、三神一体(トリムルティ)といって、中心となる神様が3人います。「ブラフマー」と呼ばれる宇宙の創造を司る神と、宇宙の維持を司る神「ヴィシュヌ」、宇宙の寿命が尽きる時に、世界の破壊を司る神「シヴァ」です。現在ではブラフマーの信者は減少傾向にあり、ヴィシュヌ、シヴァが二大神として多くの信者を獲得しています。12世紀頃にイスラム勢力に征服されたことによりインドに広まった宗教で、聖典の『コーラン』が有名です。イスラム教は、7世紀にムハンマドが神アッラーからお告げを受けたことからはじまりました。イスラム教は一神教で信者たちをムスリムと言い、中東やアジアに多くの信者達がいます。イスラム教の特徴は、1日5回の礼拝や信仰告白に代表されるその生活様式。豚肉やお酒の禁止といった食の戒律や偶像崇拝を禁じるなど、さまざまな義務や規則があり、信者たちもそれに則った生活を送っています。キリスト教は、全世界の宗教信仰者の33%を占め、世界で一番信者が多いとされる宗教。イエス・キリストを救い主とし、十字架に架けられたイエスの復活と「父と子と聖霊(三位一体)」を信じる宗教です。キリスト教の聖典である『旧約聖書』と『新約聖書』はとても有名で、多くの古典が聖書の影響を受け、たくさんの芸術作品や映画の題材にも使用されています。インドにはプロテスタント系の北インド教会や南インド教会があります。シク教はグル・ナーナクによって開かれた一神教の宗教で、16世紀に誕生しました。比較的新しいシク教は、ヒンドゥー教とイスラム教を融合したもので、信者たちがターバンを頭に巻いていることで有名です。また、他の宗教よりも富裕層の信者が多いそうです。インドには、現在もカースト制度が残っていますが、シク教はカースト制度を許しておらず、平等的な宗教と言われています。しかしその一方で、ヒンドゥー教の概念である輪廻転生(死んだ魂が、何度もこの世に生まれ変わるという概念)を受け入れているのが特徴です。インドの釈迦族の王族であるゴータマ・シッダルタによって開かれた宗教です。お釈迦さまや仏陀は日本でも聞いたことがあると思いますが、釈迦如来(釈迦・釈尊)は、仏の先駆者のことをいい、仏陀とは悟りを開いた人のことを言います。仏教はいくつかの宗派を持ち、その教えや世界観も様々です。曹洞宗や臨済宗は、普段から座禅を取り入れ、日蓮宗は、現在のことについてだけでなく、来世に対しても考えた教えを持っています。21世紀になってからは、インドの仏教徒を日本人である佐々井秀嶺師がまとめています。紀元前5世紀頃に開かれたとされている宗教。ジャイナ教の信者はインド以外にはほとんどおらず、インド独自の宗教ともいえます。インド内にいる信者数は数百万人。一貫した禁欲、不殺生、苦行を行うことで知られます。また、多くの人が商業や貴金属を扱う仕事をするという伝統があります。そのため、インド経済に大きな権威を持っており、「人口わずか0.5%のジャイナ教徒が、インドの富の50%を所有している(社会学者マックスウェーバーの著者「インドの宗教」より)」とも言われています。その他にも、0ジャイナ教徒が税金の24%を納めているという統計もあります。  by Satoko Sumitomoby Emi Takakiby Compathy Magazine編集部by phoebeby Ayaka Komiyama© Copyright 2018 Wanderlust Inc. by aki by ケドウインマキ アメリカのシカゴで生まれ、サウジアラビアで3年間生活していました。 ガンジス川①:ヒンドゥー教の聖地と慣習 . VISITORS HERE:3,801, HOLI GREEN TOTAL VIEWS : 2,318,192Pingback: Pingback: Pingback: Pingback: Pingback: Pingback: Pingback: こんにちは! 日本では「天空の城」として兵庫県の竹田城跡などが有名ですが、インドには「天空の寺院」と呼べるような迫力ある景観美を持つ場所が、西部グジャラート州にあります。 今回は、ジャイナ教5大聖地の1つシャトルンジャヤ山がある町、パリタナを紹介します。 by K.G.by Satoko Sumitomoby Satoko Sumitomo Satoko Sumitomoさとりんです。 by ケドウインマキ インドの歴史遺産を代表するエローラ石窟は、ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教の寺院が並び、3つの宗教が共存したことを示しています。 インドに生まれたジャータカ(ブッダの前世の物語)は500あまりあり、シルクロードを経て、日本の法隆寺に伝えられています。 11ハリドワール(ジャイナ教の聖地) yama 2018年12月1日 11ハリドワール(ジャイナ教の聖地) 2018-12-01T20:54:42+09:00 (き) 北インド①ヒンドゥー教とジャイナ教の文化圏 コメントはありません 南インド最大のジャイナ教の聖地として知られ、10世紀末に裸行派によって一枚岩を彫り出して造られた高さ18メートルのゴマテーシュワラ像がある。 by Noah ガンジス川を訪れたことがある人も多いのではないでしょうか。私がはじめて行ったガンジス川はハリドワール、リシケシュで、さまざまなヒンドゥー文化に触れ感動した経験があります。ガンジス川はインド人にとりContentsガンジス川は本流延長ガンジス川源流は、バギラティ川流域の深い渓谷の中にはヒマラヤからハリドワールまでを上流域、そこからビハール州バーガルプルまでを中流域、ベンガル湾までを下流域といいます。BC1500年ごろにインダス川上流に侵入したアーリヤ人が、BC1000年ごろにガンジス、ヤムナー両川を中心としたガンジス中流域に進出、『ヴェーダ』と呼ばれる宗教文献を編纂し、複雑な宗教体系を構成しました。先住民をアーリヤ人の社会体制に組み込む過程で、アーリヤ文化と先住民の文化が融合し、多様な変化を遂げていきます。後世のインド社会に決定的な影響を与えた『ガンジス川のもと、肥沃な大地での農業生産力の向上が、商業の発達につながり、都市が形成されていきました。この流域は自由な思想家を輩出し、ほぼインド全土を支配したグプタ朝(AD320-550ころ)も、この中流域に王都を置きます。12世紀に入りムスリム勢力はガンジス川流域を占領し、インド支配が始まりました。インドの歴史・文化はまさに、ガンジス川流域を舞台に展開されました。そして古代から続く豊穣の象徴としての水や河川の神性が、ガンジス川信仰の確立に影響を与えています。ガンジス川流域を中心に発展してきたインド文化において、この川が最も神聖な川とする考えが広まっていきました。ガンジス川流域には多数のこの巡礼とは、年に何回か行われる祭りの際は、特に聖なる力が強くなり、その日に沐浴すれば7世代前まで浄められるといわれています。夏場に酷暑となるインドでは、沐浴は生活上必須であり、時代や宗教、地域を超えて、人々の間で行われていました。また、土着の信仰や生活習慣が結びつきながら発展してきたヒンドゥー教の沐浴は、重要な宗教儀礼の前に行われることが多いです。ガンジス川での沐浴は、それ自体が重要な宗教儀礼なので完結しています。以上のように、インドの歴史と文化は、ガンジス川を中心に育まれてきたといわれています。私もガンジス川の沐浴場がある、ハリドワールとリシケシュにホームステイをさせてもらってました。そのインド人の友人と行った際、インド人にとってのガンジス川の重要さを大変興味深くみることができました。その時の話です。その友人がペットボトルに、濁ったガンジス川の水を入れ持ち帰っていて、何気に「それどうするの?」と聞いたことがあります。すると友人は「と言っていました。私は驚き、「お腹壊さない?」とさらに聞くと、「との答え。インド文化の奥深さを感じました。