防衛機制 合理化 例文
防衛機制とは、自己の不安を軽減しようとする人間の心理的メカニズムのことです。この記事では、防衛機制の具体例と向き合い方について解説しています。防衛機制は決して悪いものではなく、知っていれば自分の本心に気づく良いきっかけとなります。 心理学の分野においては「合理化」(Rationalization)と呼ばれる自我の防衛機制の働きは、一般的に、自分の心の内に存在する満たされない欲求や不安などに対して、合理的な説明を与えることによって、自分自身を納得させようとする心の働きのことを意味する言葉として用いられている。 不安やストレスから身を守るメカニズム、無意識の中で働く「防衛機制」をご紹介目次この防衛メカニズムは、精神分析の基本概念の一つで、防衛機制のメインとなる働きが抑圧です。不快な体験や考えを無意識に押し込み、忘れさせるこころの働きをします。性的欲求や攻撃的欲求といった反社会的で認められない強い感情や欲求を、社会的・道徳的に認められる形に置き換えること。主にスポーツや芸術、仕事や学業へ衝動欲求を転換する。特定の人物や物などに向けられた欲求や感情の表現が難しい場合に、対象を別の人物や物に置き換える行動。面倒に感じることや向き合うことが困難な現実から目をそらし、別の現実や空想へ目を向けること。明日までにレポートを作成しなければいけないのに部屋の掃除に時間を費やすといった行動。未熟な発達段階に戻り、子どものような言動をとることで不安を避けようとする行動。無意識の中に抑圧されている強い感情や衝動が、意識できる側面で正反対の傾向となって行動などにあらわれること。強い憎しみを抱く相手に対して、好意的に愛想よく振る舞ったりする。満たされない欲求に都合の良い理由を付けることで、自分の失敗や好ましくない体験を正当化しようとすること。自分の尊敬する人や理想とする人の振舞いや特徴を真似て欲求を満たそうとすること。自分の中にある受け入れたくない不都合な感情や衝動を、他人のものだと思うこと。自分の行動などに関連する気づいているが受け入れがたい事実や感情を意識しないこと。切り離したり逃れようとすること。認めたくない現実、不快な体験や欲求を無意識的になかったことことにしてしまうこと。視界に入っているが見えていない、聞いているが聞こえていない、知っているはずが知らないといったように、その現実や体験を存在しなかったことにする。不安や罪悪感を生じさせた行為をやり直したり、反対の行為をとって無効にしようとすること。 防衛機制の種類 防衛機制には、以下のようなものがあります。 全ては、不安を緩和しようとして無意識に働くこころの作用です。 1.避けようとする働き. 隔離 (別物として分ける) ほとんどの防衛機制は、一時的に用いられて後に本来のイドの衝動や欲求が満たされる健全なものである。しかし、慢性的に用いられて、本来のイドの衝動や欲求が充足されないままだと結果として不適応や神経症を引き起こすとされている。 防衛機制は、自我の発達段階に沿って次第に高次なものになる。そのため、どのような防衛機制を用いられるかによって、クライエントがどの発達段階に固着しているのかの指標になりうる。 防衛機制とは、自己を守るための無意識的に起こる精神的な防衛メカニズムのこと。10の防衛機制(ディフェンス・メカニズム)について解説。逃避、抑圧、投射(投影)、同一視、反動形成、合理化(理屈づけ)、補償、昇華、置き換え、否認とは? 防衛機制の合理化とは、『理屈で自分を納得させる』ことです。欲求を満たせなかった罪悪感や無力感を和らげるために、ある種都合の良い理屈を用います。以前出てきたE・ヴァイラントの防衛機制の分類では神経症的防衛に分類されています。 防衛機制とは不安や恐怖に直面したときに無意識に発動する心を守るための仕組みです。記憶を潜在意識の中に抑圧したり事実を否認することによって精神的な安定を計ろうとします。適応機制と呼ばれることもあります。種類ごとにそれぞれの特徴を簡単に説明します。 自我とは言わば「こころ」です。 人は防衛機制の働きによってこころの健康を保っているのですが、防衛機制は現実を都合よく歪めてしまうため、 働きが強すぎると社会に適応できなくなることや、神経症の原因になる のではないかと考えられています。 人間が無意識のうちに心を守るシステムを紹介する『防衛機制シリーズ』、今回は合理化について紹介していきたいと思います。いわゆる『すっぱいブドウ』の防衛機制です!防衛機制の合理化とは、欲求を満たせなかった罪悪感や無力感を和らげるために、ある種都合の良い理屈を用います。以前出てきたE・ヴァイラントの防衛機制の分類では神経症的防衛に分類されています。 ここでは、合理化の具体例を2つ紹介します。今回は、無意識と意識の仕組み図の三役者のうち、イド・自我が主に登場します。イド(エス)…あれしたいこれしたい!欲求担当超自我…あれはだめ、これはだめの両親の置き土産的な価値観自我…イド、超自我、外界とのバランスを取る役 ここでは、イソップ寓話『すっぱいブドウ』のストーリーを追いながら、どのように心の中で合理化が起きているかを見ていきます。すっぱいブドウはキツネの話ですが、ここでは人間のようにイドや自我を持っているという想定でいきますね。 これは、 ブドウが高い所にあるのは、キツネから見た現実の壁です。自我がイドの欲求(ブドウ食べたい)を叶えてあげられないので、罪悪感を覚えます。罪悪感とはいっても、『自分はなぜダメなんだ…』というレベルではなく、 自我は罪悪感を解消しつつ、イド(ブドウ食べたい)と現実(高い所にあって届かないブドウ)の調整をしなければなりません。その方法の1つが、今回紹介する合理化です。負け惜しみとも取れる表現ですが、本当にすっぱいブドウだとしたら食べなくて正解といえなくもないですよね。 もう1つ、似たような例で魚釣りに行った少年の例があります。魚釣りに行くのをとても楽しみにしていて、自分が1番多く魚を釣るぞと思っていた少年がいるとします。魚を誰よりも多く釣りたい!というのはイドの欲求というよりも自我自身の期待であったり、超自我による要求に近い面もあります。例えば、両親がその子に『男の子らしさ・わんぱくさ』を求めていた場合などです。 いずれにしても、何らかの欲求を持って魚釣りに臨むのですが、実際のところは意外とうまくいかなかったりも。ここで、少年は挫折感を味わいつづけることは、心にとって負担が大きいです。そのため、こうすれば、魚を釣れなかった無力な自分・挫折した自分から離れられます。 防衛機制はどれも無意識に行われるもので、合理化も無意識下で行われています。ですが、数ある防衛機制の中で合理化は自分でも気づきやすい防衛機制といわれることも。そもそも『無意識』とは言っても、なんだか腑に落ちない感じ、もやっとした感じ、落ち着かない感じなどを通して、『理屈で納得させようとしている自分』と『罪悪感・挫折感にさいなまれる自分』が対峙していることを意識上でも知るのかもしれませんね。 うっすらと気づくこともできる防衛機制の合理化。心を守る仕組みの1つですから、合理化に気づいたからといって、合理化によって得られる心の落ち着きがあり、それが自分を縛るものでない限り、悪いとは言い切れません。特に、人のせいにしたり社会のせいにしたり、どうしようもないことを自分のせいとして全部抱え込むよりはいくらかマシといえますよね。 ただ、問題として例えば以前紹介した防衛機制の補償や昇華の場合、欲求を叶えられなかった気持ちを別の行動で解消します。少なくとも行動が起こされることで、状況は変わります。 また、意識の方向性についても昇華・補償と合理化には違いが見られます。昇華においては社会的評価を伴いますし、補償だったとしても自分の満足度は上がります。いずれにしても、別の行動とその成果に意識が向いている状態です。合理化の場合、何か別の行動を伴うわけではなく、なので、合理化は意識の転換・行動の変化が見られにくい防衛機制と言えるでしょう。合理化を使いすぎて現状維持ばかりしてしまう…という方は、合理化を減らす方向を考えてみるのもよいかもしれません。 合理化をやりすぎているかも…と感じる方が合理化を減らすためにできることはいろいろありますが、最も簡単な方法を紹介します。それは、例えば『すっぱいブドウ』のキツネの場合、『ブドウを食べたい!今すぐ!』というのがキツネのイドの欲求でしたよね。これを分類すると、『食べたい』『ブドウ』『今すぐ』です。このうち、高い所のブドウが取れなかった以上『今すぐ』は叶えられそうにありません。ですが、『ブドウを食べたい』ならちょっと違うところに行けば低いところにブドウがなっているかもしれません。もっと欲求を単純化して『食べたい』であれば、桃でもリンゴでもOKかもしれませんよね。 こんな風に、まず1つ目は、合理化をして『どうせあのブドウは酸っぱいんだ』と言っているうちは、『すっぱい(かもしれない)ブドウ』のことで頭がいっぱいです。手に入れられなかったブドウのことばかり考えている状態ともいえます。それが、別の形で満たすことを考え始めると、『ブドウはほかにないかな?』『桃があるのはあの畑の向こうだっけ?』などという考えが自然と浮かんできます。つまり、この状態なら、過去への後悔や挫折感は感じにくくなります。後悔・罪悪感・挫折感を緩和するために合理化が行われるのですから、そもそも挫折感や後悔に目が行かなければ、それを緩和する必要もなくなるか少なくなるということです。 2つ目は、合理化をやりすぎる問題点である『現状維持』『その場で足踏み』といった状態を解消してくれるのが行動。行動すれば何でもいいとまでは言いませんが、自分の観念や感覚を変えるのに行動は効果的です。実際のところ、複雑な人間社会においては、キツネのように『別のところに行ってご飯を探そう』とはならないかもしれません。ですが、現状維持しないタイプの防衛機制を使えるようになるかもしれませんよ。 3つ目は、すっぱいブドウを諦めたキツネが桃やリンゴを食べられたとき、願いは少しだけ叶います。イドの願いは基本的に『今すぐじゃなきゃ嫌!!』というかなりわがままなものなので、合理化が起きた以上高い満足感や成功体験は得られません。ですが、行動によって何かを得れば小さな満足感、少しの成功体験を得る可能性はあります。その体験を『大したことないや』と思わないでください。大事な成功体験としてしっかり味わい尽くせば、成功体験が増えて自己効力感が上がれば、さらに罪悪感や挫折感を味わいにくい心ができあがっていきます。 ・合理化とは、欲求を満たせなかった気持ちを理屈で納得させること・いわゆる負け惜しみ、言い訳にも近い・自分でも気づくことがある防衛機制・心を守る仕組みの1つなので、無理に変える必要はないが、あまりにも1つの防衛機制ばかり使っている状態は問題・合理化を少なくしたい場合は元々の欲求をしっかり把握し、一部でも叶えるべく行動するのがおすすめ 不安と小心者のコミュ障&強迫性障害治療中の30代!