マタイによる 福音書 7章 7節 英語

未だ悟らぬか、五つのパンを五千人に分ちて、その餘を幾籃ひろひ、 我みづから權威の下にある者なるに、我が下にまた兵卒ありて、此に「ゆけ」と言へば往き、彼に「きたれ」と言へば來り、わが僕に「これを爲せ」といへば爲すなり』

我らを嘗試に遇はせず、惡より救ひ出したまへ」 さらば悔改に相應しき果を結べ。

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。 人の子地にて罪を赦す權威あることを汝らに知らせん爲に』――ここに中風の者に言ひ給ふ――『起きよ、床をとりて汝の家にかへれ』 しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。

禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは一人の改宗者を得んために海陸を經めぐり、既に得れば、之を己に倍したるゲヘナの子となすなり。

すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。

だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

イエス直ちに御手を伸べ、これを捉へて言ひ給ふ『ああ信仰うすき者よ、何ぞ疑ふか』 ペテロが答えて言った、「その譬を説明してください」。 これピラト彼らのイエスを付ししは嫉に因ると知る故なり。 善き樹は惡しき果を結ぶこと能はず、惡しき樹はよき果を結ぶこと能はず。 「かかる故に人は父母を離れ、その妻に合ひて、二人のもの一體となるべし」と言ひ給ひしを未だ讀まぬか。 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。 もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。 兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん」』 そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 『宮を毀ちて三日のうちに建つる者よ、もし神の子ならば己を救へ、十字架より下りよ』

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、 視よ、二人の盲人、路の傍らに坐しをりしが、イエスの過ぎ給ふことを聞き、叫びて言ふ『主よ、ダビデの子よ、我らを憫みたまへ』 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。 すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。 そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。 この故に收穫の主に、勞動人をその收穫場に遣し給はんことを求めよ』 イエス彼方にわたり、ガダラ人の地にゆき給ひしとき、惡鬼に憑かれたる二人のもの、墓より出できたりて之に遇ふ。その猛きこと甚だしく、其處の途を人の過ぎ得ぬほどなり。 耳のある者は聞くがよい。 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、 その中なる一人の教法師、イエスを試むる爲に問ふ 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。
譬にて數多のことを語りて言ひたまふ、『視よ、種播く者まかんとて出づ。 穢れし靈、人を出づるときは、水なき處を巡りて休を求む、而して得ず。

すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。 ここにパリサイ人・學者ら、エルサレムより來りてイエスに言ふ、 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 善き人は善き倉より善き物をいだし、惡しき人は惡しき倉より惡しき物をいだす。 『キリストよ、我らに預言せよ、汝をうちし者は誰なるか』 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。 また彼は使たちを大なるラッパの聲とともに遣さん。使たちは天の此の極より彼の極まで、四方より選民を集めん。 彼らを捨ておけ、盲人を手引する盲人なり、盲人もし盲人を手引せば、二人とも穴に落ちん』 ユダ、タマルによりてパレスとザラとを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり。

すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。 イエス答へて言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、もし汝ら信仰ありて疑はずば、啻に此の無花果の樹にありし如きことを爲し得るのみならず、此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも亦成るべし。 ただ御衣の總にだに觸らしめ給はんことを願ふ、觸りし者はみな醫されたり。 それは、御衣にだに觸らば救はれんと心の中にいへるなり。 遂に彼らを離れ、都を出でてベタニヤにゆき、そこに宿り給ふ。 汝等のうち、誰かその子パンを求めんに石を與へ、 また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。

病める者をいやし、死にたる者を甦へらせ、癩病人をきよめ、惡鬼を逐ひいだせ。價なしに受けたれば價なしに與へよ。 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。 されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。 この町にて責めらるる時は、かの町に逃れよ。誠に汝らに告ぐ、なんぢらイスラエルの町々を巡り盡さぬうちに人の子は來るべし。 ペテロ言ふ『我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず』弟子たち皆かく言へり。 その同輩を扑きはじめ、酒徒らと飮食を共にせば、 かくのごとく此の小き者の一人の亡ぶるは、天にいます汝らの父の御意にあらず。

ここにイエス、ヨハネにバプテスマを受けんとて、ガリラヤよりヨルダンに來り給ふ。 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 市場にての敬禮、また人にラビと呼ばるることを好む。 するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。 と言うのに似ている。 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 祭司長・長老ら訴ふれども、何をも答へ給はず。 ここにバラバといふ隱れなき囚人あり。 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 彼らに言ひ給ふ『ダビデがその伴へる人々とともに飢ゑしとき、爲しし事を讀まぬか。

良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり』 ここにイエス答へて言ひたまふ『をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ』娘この時より癒えたり。 JavaScript is required. しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 盲目なるパリサイ人よ、汝まづ酒杯の内を潔めよ、さらば外も潔くなるべし。 さて、イエスをつかまえた人たちは、大祭司カヤパのところにイエスを連れて行った。そこには律法学者、長老たちが集まっていた。 するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。 その他の者ども言ふ『まて、エリヤ來りて彼を救ふや否や、我ら之を見ん』 イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。 茨の地に落ちし種あり、茨そだちて之を塞ぐ。 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。 そこに立つ者のうち或人々これを聞きて『彼はエリヤを呼ぶなり』と言ふ。 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 屋の上に居る者はその家の物を取り出さんとして下るな。 裸なりしときに衣せ、病みしときに訪ひ、獄に在りしときに來りたればなり」 我なんぢらに告ぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず。 すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。
[なし] 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。 「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。 岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。