日本 基督教 団 献金の祈り

「はっきり言っておく。世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコによる福音書14章9節) 2020年7月26日三間伝道所Copyright © 2007-2020 UNITED CHURCH OF CHRIST IN JAPAN ALL RIGHT RESERVED.日本基督教団 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31 日本基督教団 伝道推進基本方針 . 日本最大のプロテスタント教団である日本基督教団は10日、「新型コロナ・ウイルスの感染拡大を防止するために、『緊急事態宣言』が適用された地域にある教会・伝道所では、極力、教会に集わない方法で礼拝をささげることを講じてください」と勧告した。 日本最大のプロテスタント教団である日本基督教団は10日、「新型コロナ・ウイルスの感染拡大を防止するために、『緊急事態宣言』が適用された地域にある教会・伝道所では、極力、教会に集わない方法で礼拝をささげることを講じてください」と勧告した。 祈祷運動 -共に祈ろう- 主の伝道命令に従い、500年を経た宗教改革の信仰を受け継ぎ、罪の悔い改めと救いの感謝の祈りをささげるために「日本伝道の推進を祈る日」(毎月第3主日)を設けて共に祈りを合わせる。 イエス・キリストに由りて啓示せられ聖書に於て証せらるる父・子・聖霊なる三位一体の神は世の罪と其の救いの為人となり死にて甦り給える御子の贖いに因り信ずる者の罪を赦して之を義とし之を潔め永遠の生命を与え給う、教会はキリストの体にして恩寵に依りて召されたる者礼拝を守り聖礼典を行い福音を宣べ伝え主の来たり給うを待望むものなり。 高田教会. 日本同盟基督教団~主の祈り~ ... 日本同盟基督教団 教育局のホームページ . 1. 【申し込み・お問い合わせ】日本基督教団教育委員会 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31. コロナウイルスの中での教会の役割に関して、世界教会協議(WCC)が6月3日に声明を発表しました。 下記のリンクをご覧ください。 Statement on the Role of Churches in ...

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礼拝の諸要素 2019年1月12日    「キリスト教の礼拝に出てみたけれど、意味がよく分からなかった」「招詞とか交読文とか言われても、何をやっているのか分からない」……初めて教会へ行ってみて、そんな経験をした方もけっこういるんじゃないでしょうか?  「頌栄と賛美歌は違うもの?」「礼拝へ来たのに聖餐式は受けられないの?」「主の祈りって普通のお祈りと何が違うの?」「献金はいくらすればいいの?」……初めて来た人や知り合いに聞かれて、困った信徒もいると思います。  「しばらく教会に来ているけれど、ぶっちゃけそんなの分かんない!」……実は、信仰歴の長いクリスチャンだって、わりとそんなものなんです。そこで、今回は礼拝における一つ一つの要素について、簡単に説明しながら見ていきたいと思います。  なお、ここで紹介しているのは、私が牧師をしている岐阜市のプロテスタント教会(日本基督教団 華陽教会)で、新しい礼拝式順として提案しているプログラムです。  主に、日本基督教団から発行されている試用版の式文をもとに、説明やコメントを書いています。  今年度から、年の初めに前奏から後奏まで一つ一つ説明しながら礼拝を行い、午後から研修会を持ち、みんなで礼拝の諸要素、意味を確認していこう……という取り組みを始めています。  せっかくなので、そこで共有したことを、こちらの記事でも紹介させていただこうと思います。  まず、礼拝の大まかな流れを説明します。礼拝の中心にあるのは「御言葉(神の言葉)」と「聖餐」です。  神の言葉である聖書朗読とメッセージに対し、感謝の応答である賛美や祈り、信仰告白がなされます。その全体を表したのが、「神の招き→神の言葉→感謝の応答→派遣」という4つの流れです。  ただし、日本における礼拝の多くは、4つの流れが整っているとは言い難く、私がいる教会の場合も「神の言葉」よりも「感謝の応答」が先に来たり、ちょっとゴチャゴチャしています。  世界的な標準に基づいた礼拝式の場合、【神の招き】にあたる部分で、「罪の告白」や「赦しの言葉」を宣言し、神に憐れみを求めて御言葉を受け取る準備をします。  【神の言葉】にあたる聖書朗読とメッセージは、文字通り、聖書を通して神の言葉を聞くときです。  【感謝の応答】では、神の恵みに応えてキリスト教の基本的な信仰を告白します。そして、他の人のためにも神の恵みを求めて祈ります。このような他者のための「とりなし」は、信徒一人一人に与えられた大切な使命です。  聖餐式はキリストの十字架と復活を思い起こし、信仰者が信仰者であり続けるための式です。自分自身を神にささげて、愛と平和のために用いられるしるしとして、献金をささげます。  最後に【派遣】で、神の祝福が宣言され、礼拝に集った一人一人が、それぞれ必要とされている場所へ出て行きます。礼拝には、このように4つの大きな流れがあることを踏まえた上で、前奏から一つ一つ、見ていきたいと思います。  前奏は、礼拝の開始を告げる音楽です。奏楽者は、その日の教会暦や行事に合わせて曲を選び、会衆が礼拝へ参加しやすいように、その日に歌う讃美歌も、礼拝が始まる少し前から流しています。  会衆は、その音楽を聞いて心を静め、礼拝に備えます。オルガンの他にピアノ、管楽器、弦楽器が用いられることもあります。  招詞(招きの言葉)は、礼拝に集まった人たちへ、神の招きを告げる聖句です。礼拝の最初は神の言葉をもって始めるため、司式にあたる人は、必ずしも聖書箇所まで告げる必要はありません。  この言葉は、その日の教会暦やメッセージに即したもの、あるいは、聖書日課で指定されている聖書箇所から選ばれます。『讃美歌21』の93-1に招詞の例が載っているので、ここから牧師が選ぶことも多いです。  最初の讃美歌は、神の招きに対する応答の賛美です。礼拝委員会で季節毎にふさわしいものを選びます。 『讃美歌21』では、1〜21番がこの部分にちょうどいい歌として載せられています。メインで使用されている 讃美歌集以外から選ぶこともあります。  多くの讃美歌で、最後につけられている「アーメン」という言葉は「本当にそうです」「本当にそうなりますように」という意味のヘブライ語です。  日本語に訳される前は、もともとついていなかった讃美歌も多く、「アーメン」をつけると不自然な意味、不自然な曲になるものも出てきます。そのため、最近では全ての讃美歌に「アーメン」をつけて歌うとは限りません。  讃美歌は立って歌われることが多いですが、体が不自由な方やしんどい方は、座ったままで大丈夫です。  開会の祈祷は、神の前に立った会衆がその言葉を受けとめるために、私のいる教会では、主に5つのことを祈っています。 ① へりくだった心で神に向かい………② 憐れみを願い…………………………③ 神による罪の赦しを共に聞き………④ 神の栄光をたたえて…………………⑤ 聖書から神の言葉を聞く準備をします……  また、憐れみの賛歌(キリエ)は『讃美歌21』の30〜35番、頌栄(グローリア)は36〜38番を用いることもあります。  聖書朗読は、神の語りかけを聞くときです。主に聖書日課で指定されている  どれかを省略しなければならないときは、クリスマス前の日曜日には  聖書についている見出しは、箇所を見つかりやすくするもので、礼拝の中では読み上げません。  交読文は、聖書の言葉を聞いた会衆が祈りへ導かれるように、詩編の言葉を司式者と交互に唱えていくものです。聖書朗読の後か、旧約と新約の間に読まれます。  詩編の箇所も、聖書日課で指定されているものを選んでいます。司式者は、会衆が読むところを間違えないように、テンポよく読むようにします。  メッセージ前の讃美歌は、神の言葉を受けとめるため、教会暦や聖書箇所に即した歌が選ばれます。『讃美歌21』の50〜60番が、この部分でよく歌われます。  メッセージは、朗読された聖書の意味を解き明かし、神の恵みと忠告を受け取る時間です。  教会の信徒が信仰に至ったきっかけや、聖書の言葉に助けられた体験を話す  礼拝の中で神の恵みを語るのは、説教者だけではありません。メッセージを聞いている信徒一人一人も、祈り、賛美、信仰告白、聖餐を受ける姿勢によって、集まった人たちに「神を証しする者」です。  信仰者は、自分自身も伝道者・宣教者として立てられていることを覚え、礼拝中に助けが必要な人たちへ、できる範囲のサポートをするといいでしょう。  メッセージ後の讃美歌は、神の言葉を締めくくるのにふさわしい歌を歌います。『讃美歌21』で「教会」「キリスト者の生活」「終末」がテーマになっている390〜580番も、この部分でよく歌われます。  使徒信条は、神の言葉に共鳴して、教会の信仰を告白するキリスト教会共通の信条です。信仰者が何を信じているのか表す便利な要約となっており、信徒一人一人が教会に集まった人々へ、神とキリストについて伝える時間でもあります。  キリスト教に入信する洗礼式がある場合は、受洗者が自分の信仰を告白し、集まった人たちへ伝道する初めての機会となります。その性質上、なるべく自分たちからかけ離れてない、初めて来た人にも分かる言葉で、告白することが望ましいです。  とりなしの祈りは、神の言葉を受けた会衆が、世界のため、教会のため、信徒のため、出席できなかった人のため、身近な人のため、子どもたちのため、苦しんでいる人のために、神様のとりなしを求めて祈るものです。  自分自身も、キリストのとりなしによって罪を赦されたことを覚え、周りのために祈ることは、信仰者の大切な使命です。  主の祈りは、神の支配(神の国)の実現を願って祈り、聖餐式の陪餐に備えるものです。イエス様が「祈るときには、このように祈りなさい」と弟子たちに教えた祈りであり、現代でも、教会に集まった人たちへ、最初に教えられる最も基本的な祈りです。  「祈り方の基本」を伝えるものでもあるため、なるべく、みんなに分かる言葉で唱えることが望ましいです。  聖餐式は、感謝の応答の頂点で、キリストが私たちを救うため十字架にかかり、復活してくださった出来事を思い起こして、パンとぶどう液を互いに分け合う、信仰者の大切な務めです。  同時に、イエス様が今も私たちのそばにいて、恵みを分け与えてくださることを思い出し、一人一人が失いかけた信仰を新たにする食事です。この食事も「目に見えるしるし」の一つとして、人々をご自分のもとへ招く神様を証しするものです。  本来は毎週行うことが勧められており、少なくとも月一回、クリスマスやペンテコステ、イースターなどの重要な行事がある際には、できる限り持つようにしています。  聖餐式は、信仰を告白した人が、キリスト者であり続けるための式ですが、信仰を告白していない人たちも、パンとぶどう液の代わりに、信徒一人一人にとりなされて、神の祝福を受け取ります。  華陽教会の式文では、そのことを意識して、パンを受け取った人、杯を手にした人が、それらを受け取っていない人のために、神様の祝福を祈ります。  「あなたの手が、愛と平和で満たされますように」「あなたの手が、愛と祝福で満たされますように」という部分は、ぜひ信徒一人一人が、近くにいる方と向き合って、牧師と一緒に唱えてほしい言葉です。  献金は、感謝の応答として献げ物をする時間です。自分の体(生き方)そのものをささげるしるしでもあるため「奉献」とも呼ばれます。  初代教会では、信徒一人一人がパンや飲み物を持ち寄って祭壇にささげ、集まった食事を生活に困っている人たちへ分け与えていました。そのとき集められた一部を聖餐式に用いたため、献金と聖餐は、通常セットで行われます。  現代では、集まった献金は教会の維持や運営のため、牧師の謝儀(給与)のため、地区・教区・教団の働きのため、福祉や慈善活動のため使われています。  あくまで「恵みに対する感謝」としてささげるものなので、金額に定めはありません。もし、どうしても迷ったら「自分の一食分」+「他の人も食事ができる分」くらいで考えるといいでしょう。  教会員の場合は、毎週の礼拝でささげる【自由献金】の他に、月毎に自分で定めた分をささげる【月定献金】があります。  月定献金は、教会が一年を通して活動するための基本になってくる献金です。こちらも金額に決まりはなく、日常から喜びと楽しさが失われずに信仰生活を送れるだけの献げ物がいいでしょう。  最後の讃美歌は、会衆が神の栄光をたたえて、礼拝から送り出されていくものです。神の栄光をたたえる頌栄の讃美歌が選ばれる他、祝福との関連で派遣をテーマにしたものが選ばれます。  『讃美歌21』では、24〜29番、88〜92番がこの部分に適した讃美歌です。季節毎に礼拝委員会で話し合って決められます。  派遣の言葉と祝福は、会衆一人一人が神を証しする生き方ができるように、神の祝福を宣言して日常へ送り出すものです。主に『讃美歌21』の93-6、93-7から選んでいます。  祝福は立って受けることが多いですが、体の不自由な方やしんどい方は座ったままで大丈夫です。また、牧師が手を下げた後は、立っている方も座っていただいて大丈夫です。  後奏は、神による派遣と祝福を静かに受けとめる時間です。奏楽者は、日常へ送り出されていく会衆のために、週毎にふさわしい曲を選んで弾いています。  報告は、礼拝後の交わりと奉仕に備えて、今後の予定や教会員の消息、新来者の紹介などをするところです。  初めて来た人で紹介されるのが苦手な方は、受付の『新来者カード』で辞退することができます。受付と 司式にあたる人は、それぞれの意志が尊重されるように配慮します。 【参考資料】日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版)主日礼拝式・結婚式・葬儀諸式』日本キリスト教団出版局、2010年。日本基督教団出版局聖書日課編集委員会 編『新しい教会暦と聖書日課ー4年サイクル主日聖書日課を用いるために』日本基督教団出版局、1999年。日本基督教団讃美歌委員会 編『讃美歌21』日本基督教団出版局、2001年。ウィリアム・ウィリモン著、越川弘英・岩見育子訳『礼拝論入門 説教と司式への実践的助言』新教出版社、1998年。由木康『礼拝学概論 新版』新教出版社、2011年。 団矢吹教会):「9 名の教会員の教会の祈りとして、将来の世代がこ こで礼拝を守り続けることができるように」との献金要請です。 「通信」(台湾基督長老教会原住民宣教師後援会):台湾原住民の教 日本基督教団(にほんキリストきょうだん、英語: United Church of Christ in Japan)は、1941年 6月24日に日本国内のプロテスタント33教派が「合同」して成立した合同教会であり、公会主義を継承する唯一の団体である 。 通称は「日本キリスト教団」、略称は「教団」。 戦後の教団の再形成がひとまず決着し、新たな歩みがはじまった時代は、日本における未曾有のキリスト教ブームの時代で、1950年代には盛んに1950年代に入ると、教団はかつて日本が植民地や戦場とした周辺諸国の教会との交流を復活させていったが、その中で、戦争中に教団がこれらの地域で行なった戦争協力(植民地・戦地での伝道、神社参拝の要請など)について厳しい問いかけがなされることとなった。それまで、教団は自身の戦争責任について自覚的ではなく、周辺諸国からの反応は深い驚きをもって受け止められた。しかし、当時すでに、ドイツにおける戦中のしかし、教団内でも戦争責任の有無やとらえ方にさまざまな立場があり、若い世代には比較的支持されたが、歴代の日本基督教団総会議長や教団の幹部たちから、当時の時世を思うと、平和な時代に生きる人たちが一方的に戦争責任を問い、これを非難することは許されないし、神の摂理によって設立された教団の存在意義を否定することになるとして、鈴木に反対意見が提出された。戦争責任告白を巡る対立収拾の為に5人委員会が設けられた戦時中における罪責の反省から在日大韓キリスト教総会と「九・一、二(きゅうてん いちに)事件」と呼ばれる、東神大教授の日本基督教団は詳細は現代のキリスト教の課題として、女性17の以下、全国の教区……北海教区、奥羽教区、東北教区、関東教区、東京教区、西東京教区、神奈川教区、東海教区、中部教区、京都教区、大阪教区、兵庫教区、東中国教区、西中国教区、四国教区、九州教区、沖縄教区(全17教区)